永遠に生きられるだろうか

銀杏BOYZのBABYBABYを部屋のコンポで聴いている。この歌には「永遠に生きられるだろうか 永遠に君のために」という歌詞がある。この世に永遠に生きたい、不死身の身体が欲しい人間など存在するのだろうか。

 

わたしは幼いながらも立派な自殺志願者であった。

今思うとどうしようもないことだ。中学受験がだとか、家族や友達とうまくいかないだとか、自分の病気のことだとか、将来のこと、全てがモノクロに見えて、毎日叫んで暴れて泣きわめいた。飛び降り自殺、首吊り自殺、リストカットオーバードーズ、自分の頭を壁に打ち付けたり、いつか打ち所が悪くて、ポックリ死んでしまいたい、と布団の中で祈りながら寝て、「今日も目覚めてしまった」と思いながら涙の所為かカピカピになった目を抉じ開けて、そこから起き上がれない中学時代を過ごした。

 

「死後の世界」のことも考えた。スマートフォンが普及し始めた時期にひたすら、「輪廻転生」「地獄」についてインターネットで一日中検索した。「自殺者はしばらくは生き還れない」、という一文をどこかのサイトで見た。何故地獄について調べたのかというと、「わたしは確実にこの半生を振り返ると死後は地獄行きにしか道は無いから」だと信じて疑わなかったからだ。地獄の世界は恐怖でしかなかった、滞在期間は10年単位という生温いものではないこと、生まれ変わってもろくなものになれないこと、針山地獄だけには行きたくないと思ったこと、鬼に金棒で殴られたくないと思ったこと、今より子供ながら、あるのかないのかわからない世界に途轍もない恐怖を感じて震えて眠れない夜もあった。

 

自分の分身を作ることの恐怖にも怯えた。自分と同じような人格を持った子どもを作ることが本当に怖かったのである。わたしの子どもはきっと大変な人生を送るに違いない。絶対にわたしの病気が遺伝してわたしは自分の子どもを心から可愛いと思えるのか、考えると胸が痛くて悲しくて自分が大嫌いになり、絶対セックスなんてするもんか、と中学生の時誓った。

 

わたしは13歳で精神科を受診した。

強迫性障害統合失調症の疑いがあった。わたしは精神薬を毎日欠かさず飲んだ。これを飲めば楽になると信じて寝る前に、ジプレキサを飲み、泣き叫んで暴れてしまったらコントミンを頓服で飲んだ。必死に、病気と向き合い、高校に行き始めたころは毎週水曜日、授業が終わると電車で1時間ほど揺られ精神科に通った。ある日わたしはおそらく統合失調症という診断を受けた。十分理解出来たので「わたしは統合失調症なんだ」と何度も呟きながら、電車で家まで帰った。涙は全く出ず、ただただ自分が何者であったのか分かった安心感でとても気分が落ち着いた。「わたしは統合失調症になったのだ」「これから家族なんて作るのは絶望的であり、肉親が死んだら孤独で暮らして行かなければならない」「それならば誰にも迷惑かけず、ひっそり孤独死したい」15歳の時だった。

 

恋愛と友情はひたすらに避けた。

誰からも求められる存在ではないし誰からも求められたいと思ってはいけないと自分に言い聞かせた。自分と一緒にいることで好きな人達を不幸にさせたくなかった。そしてわたし自身も傷付きたくなかった。人と接するのが怖かった。自分はクラスメイトより劣っていて、本当はこんなところにいてはいけない人間だ、と思って昼休みは孤独と一緒に母親が作ってくれるお弁当を食べた。その生活は長くは続かなかった。この空間にいるのが申し訳なくて酷く辛かった。

 

「永遠に生きられるだろうか 永遠に君のために」

恋人を思う人間の歌だ。この歌は年の差カップルの歌なのかもしれない。恋人はかなり歳下で、唄い手は歳下の恋人と一緒に生涯を終えたいと思っていて、永遠に生きれたならば恋人の最期まで共にいられるから永遠に生きたい、というひとつの解釈をしたが、きっと「永遠に君のために生きたい」ということのだけだと思う。

 

わたしは「永遠に生きたくない」。寿命を全うするか、事故で死ぬか、病気か、自殺かまだわからないが、いつかは最期を迎えたい。ハッピーエンドでもバッドエンドでも、「死」は「死」でしかないから、わたしは死を最初で最期の経験をするのだ。あと10年後かもしれないし、80年後かもしれないし、これから5年生きていられるのかもわからない。5年後、わたしはどんな世界で、どんな気持ちで、その世界は何色に見ているだろうか。ただモノクロで無ければ自殺志願者だったわたしは、少しでも5年生きていた意味がある、と思う。5年後の今日は、わたしは死んでも死んでなくても、今日のように晴れて気持ちの良い日だと良いな、と生きている今思えるだけ、わたしはまだ生きててもいい存在なのかもしれない。

御挨拶

2017年1月16日月曜日 快晴 

 

真冬の風は冷たく、手が凍ったのか麻痺して上手く指が運ばないディスプレイ上のキーボードを打つ小田急線に一駅だけ乗り降りする高円寺ファッションの童顔黒髪ボブカットがこのブログの運営者、主である「わたし」だ。

 

そう書いているうちにたった今、乗り換えの路線の電車が来た。

わたしの住んでいる街は酷く平和で、死にたくなるくらい平和で、わたしは12歳まで区内に自分で入ろうとしたことがなかった。何故12歳のわたしは「池袋」に憧れを持ったのかと言うと、当時小学校で流行っていたひとつのライトノベルの所為だった。「池袋」に12歳に行ったそれきり、自分の意思で来たのは4年後16歳の冬で、ソープ風俗の建物が在った路地のビルの一室に短期バイトの説明会に行った時だった。短期バイトの登録をし、次の日からお菓子工場で箱詰めを2日ほどしたが、今までで一番辛い仕事であった。そういえば、もうすぐその日に近づくなあ、と思う。

 

さて、そうこうしてるうちに地元に到着し、わたしは家に帰るために歩く。

今日もこの街は平和だ。ここは池袋にも新宿にもなれない、嘔吐物さえも何も産み出さない街だ。もう在住歴は10年を超えた。わたしは自分を少しでも自分を変えたいがために、イヤホンをさしたiPod nanoと小銭入れとスマートフォンだけダメージジーンズのポケットに入れ、夜のこの街を聴きながら散歩をしたことがある。だが、痴漢や恐喝などをしそうな所謂危ない人、わたしの様に深夜徘徊をしている精神病患者的な人間は誰も居なかった。毎週しようと計画していたその行為は、この街の何も無さに絶望して、その日に辞めた。ただ、ただつまらなかった。イヤホンから流れてくる騒がしい音が、今夜はなんだか悲しくて、さすがに秋の終わりはもう寒くて、もっと悲しくなった。深夜徘徊をした日の昼、恋人に会った。「昨夜の深夜徘徊、楽しかった?」と興味深そうに聞いて来た彼に「酷くつまらなかった」とわたしは彼に悪態をついたのかはもう忘れてしまった。

 

そしてそんなこんなで今、帰宅した。

昨夜は殆ど寝て居なかったのに、頭が冴えて、こんなブログアカウントを作ってしまった。「今日は何するの?」と友達からたまにラインが来る。今ふと、「今日はこれから何をするのだろう」と思った。ずっと意味のある生活がしたくて堪らなかった。人の人生を変えれる様な、そういう漫画みたいな生活。「わたしに、あと何年かはこの街で、やって行けるかな」と呟いたとしたらわたしの友達は「やって行く、んだよ」とハイボールを飲みながら言うのだろうか。